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カーネルサンダース激おこ。中国企業が「KFCは遺伝子操作した8本足の鶏を使用している」と噂を流し、KFCがこれを告訴(閲覧注意)

いわゆる風評被害ってやつだ。中国企業3社が、中国のケンタッキー・フライド・チキン(KFC)では、足が8本、翼が6枚ある遺伝子操作をされたニワトリを使っているという噂を、怪しな画像付でソーシャルメディア上で広めた事を受け、KFC中国がこれを提訴した。KFCの中国での信用を挽回する為だ。

記事提供=カラパイア


訴えられたのは、広東省深センのインチェンアンジーチェンゴン・カルチャーコミュニケーション社、山西省のウェイルーカン・テクノロジー社、同じく山西省のリンジャン・テクノロジー社で、中国で大人気のモバイルアプリ ”WeChat”を運営している。

 3社は”WeChat”上で、虚偽の噂を流し、正しい情報を削除するなど、ネットの意見を操作し「消費者を欺いた」罪で告訴された。その投稿は、KFCで使用されているチキンは遺伝子を操作し、足が8本、翼が6枚あるというもので、画像加工された、恐ろしいニワトリの写真も添付されていた。
出典:karapaia
KFCはこの3社に各242000ドル(約3000万円)の損害賠償と謝罪を求めている。KFC中国は、中国国内で4600店舗を構える国内最大手のフライドチキン・ファストフード企業である。

徐匯区人民裁判所で行われた裁判で、KFCの主張は受け入れられたものの、3社からの回答は得られておらず、裁判は長引きそうだ。
出典:karapaia
中国政府は、ソーシャルメディアでの誤った噂を一掃する活動を強化しているそうだが、KFC中国のCEOであるQu Cuirong氏は、ネット上のうわさから自社を守るのは極めて難しいと述べた。

ネット上で一度拡散された悪い噂や嘘の情報はなかなか消えてくれない。ヨーロッパ(EU)では1年前、オンライン上には「忘れられる権利」があり、要求に応じてグーグルはリンクを削除しなければいけないという判決が下されたことがあるが、中国ではいろいろな規制もあり、なかなか難しそうだ。

via:cnbc.

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江戸後期から明治時代にかけての日本の古写真の出所が明らかに

髪を洗う娼婦、武士、眠る赤子を優しく見守る母親など、江戸後期から明治時代にかけてのカラー化された日本の古写真は海外サイトで爆発的に取り上げられており、ネット上で見かけたことがある人も多いかと思う。

これらの写真は、1863年から1877年の間に写真家のフェリーチェ・ベアトによって撮影されたものである。世界初のフォトジャーナリストのひとりとして広く知られているベアトは、当時、横浜に住んでいた。高級娼婦、芸者、日常のなにげないシーンなど、幅広い対象を写真におさめた。

記事提供=カラパイア


2.勇ましい3人の侍たち

出典:karapaia
これらの写真は、フランス、パリのヴェルデューギャラリーが保有しているが、今週から英ロンドン、エンバンクメントのトゥー・テンプル・プレイスで開かれるロンドン・フォトグラフ・フェアのオープニングで展示されている。

ベアトの見事な写真はこのフォトフェアの見どころのひとつであるが、このフェアは1840年代にさかのぼる独特なショット、写真の新時代を担う秀逸な作品をイギリスに紹介するきっかけとなっている。

スタフォードシア出身のイギリス人発明家トマス・ウェッジウッドが、初めて芸術として試みた写真は1800年に登場したが、これは失敗に終わった。次はニセフォール・ニエプスが、1822年に自分が発明したヘリオグラフィーという技術を使って、1826年に世界最古の写真を撮った。これは高窓から撮ったフランスの風景で、今でも残っているが、ぼんやりした不鮮明な写真だ。1839年にルイス・ダゲールが、現在わたしたちが知っている写真法、銀板写真を初めて発明した。

それぞれの写真は手書きで色をつけた。1800年代はまだ手間のかかる時代だった。

4.演奏する女性。

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ベアトが日本にいた期間は、彼の写真歴の中で唯一穏やかな時代だったようだ。その写真のほとんどが平和なシーンばかりだった。

8.当時の有名力士たち

出典:karapaia
1841年にヘンリー・フォックス・タルボットのカロタイプ写真が世界に紹介されたように、その後、さまざまな写真法が生まれ、ベアトやウィリアム・ヘイズ、ジェームズ・ロバートソンのような当時の写真家たちが道を開き、キャリアを開花させる助けになった。

ヴェネチア生まれだが、当時イギリスの保護領だったコルフに家族の住まいがあったため、イギリス市民になったベアトは、コンスタンティノープル(現イスタンブール)への旅で、のちのビジネスパートナーで義理の兄弟となるロバートソンと共に写真家としてのキャリアを踏み出した。

1855年、クリミアで戦争が勃発したとき、ベアトはバラクラヴァに向かって、戦闘の様子や経過を記録した。これで世界初の戦争写真家のひとりとなった。

その後、ベアトはインドへ向かってから1860年に中国に行き、そこで第二次アヘン戦争で、英仏軍と中国の清王朝との戦いを写真におさめた。彼の撮った中国の写真には、ヴィクトリア朝ホンコンのたくさんのショットや、英軍に抵抗して死んだ中国軍兵士たちの死体が累々とした大沽砲台など、初期のものもある。

9.武士たち

出典:karapaia
ベアトは当時の将軍から、国中を旅するかなりの自由を与えられていた。侍の写真を撮ることも許されていた。

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